2015/12/24

「日本のトップ社労士に慕われる男。宮崎から全国の士業に向けた金言!」

「日本のトップ社労士に慕われる男。宮崎から全国の士業に向けた金言!」

自己紹介をよろしくお願いいたします。


宮崎県の県庁所在地で社会保険労務士と行政書士の事務所を営業させていただいている杉山晃浩と申します。
私は、1967年に愛知県岡崎市で生まれました。後述しますが、サラリーマン時代の転勤途中で結婚し、妻の出身地である宮崎県で事務所を開設するに至りました。知人友人がいない中、どうにかして宮崎県TOPレベルの事務所に成長させることができました。
2001年開業、メンバー数12名であり、地方にしては大きな事務所になっています。Office SUGIYAMA グループとして、行政書士法人杉山総合法務、労働保険事務組合晃和会、建設業一人親方組合職人倶楽部、合資会社オフィススギヤマを併設しています。
当グループでは、社労士業務が売り上げの90%以上を占めています。特に、助成金に関しては、宮崎県で発生した助成金詐欺事件に伴う捜査検証作業のお手伝いを、刑事さんとさせていただきました。警察からは、『宮崎県内で最も助成金に精通し、信用がおける社労士を紹介して欲しい。』とのリクエストが労働局にあったそうです。そして、弊所が労働局からの指名を受けたわけです。日ごろから、職員がしっかりと仕事をしていてくれるので、行政からの信用を得られたと考えています。


めちゃめちゃすごいですね!


助成金以外にも、介護特化ブランディング、マイナンバー専門家ブランディングなどの仕掛けをしています。
現在のところ、最も遠いクライアントは岩手県にあります。遠方であっても、弊所を信じて仕事を預けてくれるお客様には感謝以外ありません。



何で社労士事務所をスタートしようと思ったのですか?


バブル崩壊の影響で勤務していた東邦生命保険相互会社が破たんしました。その会社は、外国資本のGEキャピタルエジソン生命保険会社として生まれ変わったのです。営業職員及び保険代理店そして東大卒などの優秀な人材は、GEに転籍することになりました。一方、一般人である私は、東邦生命からGEキャピタルエジソン生命に出向という雇用形態で退職時まで勤務を続けることになりました。結論として、会社が破たんしてもすぐには職を奪われなかったのですが、社長がかの有名なジャックウエルチに変わることで、勤めていた社員の質が短期間のうちに変わってしまったのです。


日本企業が一気に外資企業になったんですね。


例えば、私が宮崎支社に勤務している時代に、私の結婚式の日に東京で研修が開催されるという情報が入りました。私の結婚式の日と重なっている旨を伝えると、『おめでとうございます。研修は参加しなくてよいですよ。』と返事がありました。ところが、結婚式の1週間前になって『結婚式をキャンセルして研修に出ることができないか?』との電話を受けることになるのです。少し前に『おめでとう。』といっていただいた先輩の口から、結婚式よりも会社を取るように促されたのは、私にとっては非常に大きなショックでした。当然に、私は、研修よりも結婚式を取りました。
もし、あなたがこのような会社に勤務していたら、どのように感じたでしょうか。少なくとも私は、『この会社は、私がいるべき会社ではない。』と考えはじめるきっかけとなりました。


結構ブラックっぽい感じですねw


その後、私が所属していた東邦生命は、営業収入がなく、出向者の給与を支払う役目が終わり、資産を食いつぶしたので、いよいよ倒産となりました。でも、その事実を知ったのは、私が外出先から戻ってきたお昼休み時間だったのです。その日の朝には、『お客様と代理店の会社に対する不安を和らげて来てほしい。』と社命があったのですが、現実を知らされたのは、お昼のNHKニュースでした。
この時に頭に浮かんだことは、「自分のコントロールできないことで、振り回されるのは嫌だ。サラリーマンを辞めよう。自分の責任でできることであれば、何か商売をしなければならない。私の持っているスキルを利用して何かできる仕事はないか?」ということでした。


こういう開業の経緯もあるんですね。


早期退職割増金がもらえることもあり、退職を決意しました。大手の保険代理店などから、多くの再就職のオファーをいただきましたが、どうしてもサラリーマンを続ける気にはなれませんでした。『いくつかの税理士事務所からは、2年修行すれば、独立できるよ。』などと、うれしいオファーをいただきましたが、5科目試験にはチャレンジする気にはなれませんでした。よくよく考えれば、生命保険販売以外の知識がないことに気付き、何か良い仕事はないかと探していたところ、社会保険労務士の資格にたどり着きました。


運命の出会いですね


私が生命保険会社に在籍していた頃に、販売代理店網を構築するために、当時ブルーオーシャンであった社会保険労務士市場を攻めていたことを思い出しました。社会保険労務士の開業要件を調べたら、なんと、実務経験は不要で、実務者講習のみで開業できるということでしたので、社会保険労務士の世界を目指すことになりました。
4月から勉強をはじめ、7月試験に滑り込みセーフで合格し、今の私があります。


杉山さんは一発合格だったんですね!!
事務所開業当初の苦労はなんだったでしょうか?


初めての創業であり、日々何をして良いかわからなかったことです。
3社の顧問先をもっての創業でしたが、そんなに仕事があるわけでもなく、新規開拓をしようと、気が向いたときに飛び込みをしていました。ハローワークの求人データを打ち出しては、飛び込み訪問に行き、助成金の提案をしていたように思います。月に何件かは、契約になり、同時期に宮崎県内で開業した社会保険労務士の中では際立って目立っていたようです。正直なところ、創業後も早い段階でサラリーマン時代と同じ生活水準を維持できていたので、特に苦労しているとは感じていませんでした。
今思えば、サラリーマン時代の年収と比較しての創業でした。サラリーマン時代の年収をキープできれば良いと単純に考えていました。創業初年度にはサラリーマン時代の年収を抜いてしまい、自営業とはサラリーマンと比較すれば楽な商売だと感じていました。当時は宮崎県内の社会保険労務士の先生方から、『宮崎県内の若手社労士の中では、杉山が凄いよね。』と言われていたこともあり、胡坐をかいていました。この間に、社労士会の宮崎支部長になるなど、自分のパラダイムの中で気持ちよく暮らしていました。このような時代が創業から10年間続いていたのです。


開業当初からこんなにも成功している社労士さんがいたんですね!?


すなわち、これが私の失われた10年に該当します。大きな失敗を、10年間もしていたのです。創業後に、そこそこ、ほどほどに成果が上がってしまい、その成果を周りと比較し、勝手に自分の立ち位置を決めてしまったことこそが、最も大きな反省点です。その結果、現在の私は、さまざまなことで苦労しなければならない状況を作ってしまい、日々悩み、自戒し、挑戦しています。創業時よりも、現在のほうが無茶苦茶悩みは多いですね。
本音は、最初に戻って今の考え方でやり直したい…(笑)


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